巻頭言
豊田山岳会会長 竹中良文
手元には50周年記念と40周年記念の山靴がある。パラパラめくっていくと懐かしい面々、思い出深い山行が蘇ってくる。そして、山岳会に入会して以来の時の流れに不思議な感銘が湧き上がってくる。職場や家族と過ごした毎日の流れとは違う、「山」というもう一つの人生。それを眺めているような感覚だ。
寒さにかじかんだ手で握るピッケルの冷たさ、喘ぎながら登った登山道、烈風に傾ぐテントで眠れぬ時を過ごした一夜、白銀の斜面を滑り降りる爽快感、狭いテントの中で語り合ったバカ話、山頂にようやくたどり着き乾いた喉に流し込むビールのうまさ、一つ一つの思い出が鮮やかに浮かび上がってくる。
以前、山本君に向かって「おまえとの付き合いは腐れ縁。家族以上だわ。」と、酔ってほざいたことがある。そうかもしれない。共に過ごした時間の、長さではなく濃度でいえば、山の連中のほうが相当に濃いかもしれない。豊田山岳会が60周年を迎えられたのも、そんなゴツゴツとした手触りの、でも温かい仲間とのつながりがあったからだ。
近年は、山岳会の衰退が伝えられている。SNSで仲間を募り即席のチームで山へ行く、山を楽しむのも自由がいい、という風潮が流行っている。ハイキング程度ならそれでもいいかもしれないが、一定程度以上の山でそんなものが通用するとはとても思えない。相手の体力も技量も分からないのにザイルを預けたり、困難な状況の時に命をかけてメンバーを助けようとしたりできるだろうか。自分の時間を削り、やりたいことを我慢して、新人に技術を教えたり山へ連れていったりできるだろうか。
山岳会は組織であり、会の為に時間や労力を提供し貢献することや、年月が経てばリーダー的な立場も求められるようになる。だがそれは「お互い様」なのだ。自分も新人の時、初めての合宿の上の廊下では、遡行技術や山歩きのイロハを教えてもらった。天候の判断、登攀技術、冬山のサバイバル技術、仲間から受け取ったものは限りない。それだけではない、暴風雪の薬師岳のビバークで励まし合ったこと、アコンカグアでは高山病で死にかかった自分を引きずり降ろしてくれたこと、生死の分かれ目で今も生き残れているのはそこに仲間がいたからだ。
豊田山岳会は、組織としての束縛が厳しいかもしれない。山行以外の懇親会が多いのかもしれない。時にはきつい叱咤激励があったかもしれない。それが嫌で会をやめていく者も少なからずいた。だがそれがあるからこその「山岳会」なのではないか。相手の人柄も腹の内も分からないのにザイルを結ぶことなどできやしない。
豊田山岳会がこれからも、岩から沢からバックカントリーから海外登山までオールラウンドに山を楽しみ尽くし、そして仲間と共に人生を味わい尽くす会であり続けられるよう願い、また70周年80周年と会がますます盛んになるよう努力することを誓って、巻頭言とします。